| ■ 中国・シルクロードの旅 ■ 中国・敦煌訪問の記録 |
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ブッダの活躍したインドを、昔から「天竺」とよんで佛教徒は憧れました。天竺から西域シルクロードを通り、佛法が洛陽の都まで伝来したことを「佛法東漸」といいます。 天竺僧らはヒマラヤの山々を越え、タクラマカン砂漠を生命を懸けてキャラバンし、トルファンやウルムチなどのオアシスに法を伝え、敦煌に佛教文化を建立しました。 また、佛法を求めて天竺を目指し帰国後、法顕三蔵、玄奘三蔵、義浄三蔵・・・などが翻訳事業に挺身した長安の都。この世界最大の長安に、弘法大師空海和上は約1200年前(AD804年)に法を求め入唐しました。そして、三朝の国師である青龍寺東塔院の恵果阿閑梨より伝法灌頂を授かり、真言宗第八祖となりました。空海和上は、長安において大唐文明の粋を学び、その精華を日本に伝える役をになったのです。 東西文明交流の地長安(西安)に立つことでは、日本がユーラシア大陸の国際文明に出会い、以後それを呼吸消化し発展した原点に遡れ、もって日本文化の履歴に触れることになるでしょう。 今回の旅は、遙かなるシルクロードへの第一歩として、西域、天竺に夢を結ぶものになりました。 田中成明
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ブッダの活躍したインドを、昔から「天竺」とよんで佛教徒は憧れました。天竺から西域シルクロードを通り、佛法が洛陽の都まで伝来したことを「佛法東漸」といいます。 天竺僧らはヒマラヤの山々を越え、タクラマカン砂漠を生命を懸けてキャラバンし、トルファンやウルムチなどのオアシスに法を伝え、敦煌に佛教文化を建立しました。 また、佛法を求めて天竺を目指し帰国後、法顕三蔵、玄奘三蔵、義浄三蔵・・・などが翻訳事業に挺身した長安の都。この世界最大の長安に、弘法大師空海和上は約1200年前(AD804年)に法を求め入唐しました。そして、三朝の国師である青龍寺東塔院の恵果阿閑梨より伝法灌頂を授かり、真言宗第八祖となりました。空海和上は、長安において大唐文明の粋を学び、その精華を日本に伝える役をになったのです。 東西文明交流の地長安(西安)に立つことでは、日本がユーラシア大陸の国際文明に出会い、以後それを呼吸消化し発展した原点に遡れ、もって日本文化の履歴に触れることになるでしょう。 今回の旅は、遙かなるシルクロードへの第一歩として、西域、天竺に夢を結ぶものになりました。 田中成明
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